東京駅
- Station Endeavor

- 5月25日
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東京駅皇居は勿論ですが、元の江戸城。
「お城」というと「天守閣」がそのシンボルですが、ご存知の通り現在の皇居には天守閣が存在しません。
1657年の明暦の大火で焼失したから、という事は有名な話ですが、では何故江戸幕府が滅亡するまでの210年もの間再建されなかったのか?
簡単に言うと「必要ないと思った」から。
城に天守閣があるのは「戦闘の指揮所」としての役割の為で、この時代にはもう元和偃武による太平の世が訪れていたので、「戦争もない今、そんなものに金をかけるなら街の復興や庶民の救済にに金を回そうよ」 「メンツ?そんなのどうでも良い。お金は優先する所に回すべき」と。
これを提言したのは保科正之で、二代将軍秀忠の息子で、三代家光の異母弟。家光や四代家綱の政治の補佐をした名政治家。会津松平家の祖になった人物。
災害復興を優先させるべき、必要もないモノに余計なお金は使わない様に、ですか…。
今の政治家に聞かせたい。

※なお、時代劇「暴れん坊将軍」では「江戸城の天守閣」が映っていますが、八台吉宗の頃には既になかったはず。あれは姫路城で、演出のひとつなんでしょうねー。



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